アンデルセン 『あの女はろくでなし』

 大学礼拝でも取り上げられた題材で、アンデルセンの「あの女はろくでなし」というお話があります。
ロマンティックでメルヘンなアンデルセンの作風とは趣が異なる作品で、アンデルセンの母親を弁護するためにかかれたといわれています。辛い立場にあった母親に「本当は働き者」という別の価値観で描くことで、やさしいまなざしを向けています。また、人生や生活について考えさせるところがあり、アンデルセンという作家に親しみを感じるように思いました。

 アンデルセンは、人魚姫や親指姫など子供のころに親しんだ物語から、メルヘンチックで児童向きの作家というイメージがありますが、『あの女はろくでなし』というタイトルのイメージからもそういうロマンティックなお話とは違って、ちょっと怖いような印象があります。
 この『あの女はろくでなし』というお話はあまり有名ではありませんが、アルセン自身の母親について書いた物語といわれており、そしりを受けていたお母さんの名誉を挽回するために書かれたようです。アンデルセンの母について書いたこともあり、アンデルセン自身の情報を多く伝えているように思います。お母さんがあまりよく言われていなかったことからも辛い思いをしたでしょうし、裕福な家庭生活ではなかったのでしょう。
アンデルセンのメルヘンな作風とは裏腹に、アンデルセンはあまり恵まれた人生というわけでないようです。

 『あの女はろくでなし』のあらすじです。
アンデルセンの母親は、冷たい川で洗濯物を洗ったり、きつい肉体労働をしていたために、気を紛らわせるために強いお酒を飲んでいたそうです。ふところにお酒をしのばせて、ときどき飲んで、酔っ払って仕事をしていたため、『あの女はろくでなし』と人々がささやくようになったそうです。
しかし、彼女のことをよく知っていた人は、「彼女ほど働き者はいない」と話します。
ある日、疲れて親切な人の家にお世話になります。そして、目の前にだされた出来立ての蒸したジャガイモを見て、
そのにおいをかいで、昔の裕福だったころの生活を思い出し、気持ちがいっぱいになり、おなかがいっぱいになってしまいます。次の日すっかり元気になり、また強いお酒を飲んで仕事にでかけますが、途中で亡くなってしまうというお話です。

 アンデルセンは自分の母親の汚名を消すように、この話を作ったといわれていますが、切なく悲しいお話ですね。
誰よりも働き者だったアンデルセンのお母さん、日々過酷な労働をし、気持ちを奮い立たせるために自分なりの工夫をして日々の労働に励んでいたのでしょう。「気持ちを奮い立たせるための工夫」「気を紛らわせるための工夫」は、みんな何らかの形でしていると思います。それが少し特殊だったために人から受け入れられず、「ろくでなし」と呼ばれてしまいます。
仕事のときにお酒を飲んでいると、さすがにいい評判は得られなそうですが、そのために、振る舞いに気をつけましょう、と安易に教訓として読むのも、すこし味気ないように思います。仕事のときに強いお酒を飲みながら仕事をするというのは、少し個性の強い行動かもしれませんが、これほど突飛な行動でなくても、何かしら人は癖をもっていて、中には人と少し違う、人に理解されにくい行動や習慣があると、人から誤解を受けたり、そしりを受けたりしてしまうことがあるのではないかと思います。ときには「ろくでなし」との烙印をつけてしまうこともあるかもしれません。世の中の過酷さを、淡々としたストーリーにのせて切々と伝わってくるように思います。

 アンデルセンが、お母さんを別の角度から眺めて「本当は働き者」だったと、この『あの女はろくでなし』を書くことでお母さんの名誉を回復し、救ったのです。また、作品の途中に「あの人は働き者だよ」と告げてくれる人が登場します。どんなにつらい立場のときでも、人から悪く言われても、温かく見守ってくれている人がいる、肯定してくれる人がいる、そんな希望や救いを伝えようとしているのかもしれませんね。お母さんを肯定し温かいまなざしで見ていたのは、アンデルセンだったのでしょう。それにしても「本当は働き者」のお母さんが、「ろくでなし」と呼ばれてしまったように、いいところもあるのに、特異な短所で安易に短絡的な言葉で決めつけをしてしまうということ、よくあることなのかもしれません。