誰かに応援してもらえること、応援すること




半年前に夫が一人で始めた合同会社に、今月から私もなんとか加わることができました。やっとスタート地点に立ったというところです。それでも、ここまでたどり着くには、たくさんのことを乗り越えてきてやっとここまで来れたと思うときがあります。まだまだこれからしなくてはいけないこと、できていないことがたくさんありますが、それでもここまで来るまでの道のりは大変でした。


大学時代に研究者としての道を志していた、現在の夫と出会ってちょうど6年と10日が経ちました。現在のようになるとは全く想像できませんでしたが、何かを信じてここまで続いてきたのだと思います。数々の困難をくぐりぬけて、それでも幸運に恵まれて、私たち二人を助けて信じてくれる家族に恵まれてなんとかスタート地点にこれたのです。


梅田望夫さんの、「ウェブ時代をゆく」に、オープンソースの成功には「人生をうずめている人」が不可欠であると書いてある箇所があります。石黒邦宏さんとの会話で、

 そして私は重ねて「オープンソース・プロジェクトも、成功するものと失敗するものがあるよね。もちろんほとんどは失敗するよね。その差はなんだと思う」と尋ねた。
「成功するかどうかは、人生をうずめている奴が一人いるかどうかですね」と彼は端的に答えた。

とあります。「人生をうずめている人」が夫がそうであれば嬉しいと思いますが、夫が人生をうずめて取り組もうとしていることはそばにいて強く感じます。その姿には胸を打たれます。しかし没頭すると周りの人とうまく調和がとれなかったりして、本当に没頭してすることはなかなかたいへんなことだと思います。私も「人生をうずめる人」になれたらと思いますが、より没頭している人にはまだまだだなと思うこともしばしばです。


より没頭している人は、その没頭ぶりが周りの人の心を動かすのではないかと思います。没頭している夫を少しでも支えようと妻が助けようとする、息子を助けようと夫の両親が助けようとする、私の両親も私と夫を助けようとする、というふうに一人の人の没頭が周りの人を少しずつ動かしていくのかもしれないと思いました。


しかしながら没頭して何かをするということは、さまざまな局面において誤解を招いたりすることも多く、それでも何か可能性を、まわりの人に信じてもらえる、支えてもらえることがなくてはできなかったと思います。周りの助けがあるかないかで、没頭する度合いに影響してくるのではないかと思ったりもします。あらゆる状況において、その立場を取りつづける、守りつづけることの大変さを考えると、深くコミットしながらそれを維持しつづけるのには、そうしようと思えば誰でも出来る種類のことではないのではと思うのです。


人生のなかで見つけたごくわずかな可能性が、それがその人にぴったりと合ってそれに深く没頭し、さらに人生をかけてより大きななにかに発展させることができるということは、ごく稀なことではないかと思います。それでも人生をかけてなにかに取り組む人の姿は、ときに周りの人をも動かすということはあるのだと思います。