「いわし」に書いていたというお話




はてなの設立当初、令子さんが記事を「いわし」に綴られたというエピソードがありました。はてなが現在のような会社に成長しているのをもう知っているせいか、「設立当時はつらいだろうけれど、無事に成功しているからいいじゃない。」と思ってしまうのかもしれません。しかし自分が似たような立場になってみると、令子さんの記事に励まされていることを感じました。


設立当時の苦労話などあまり興味が持てなくて、「そんなこともあるのだろう」と思ってしまうときがあります。しかし少しは役に立てているのかもしれないけれど、とても無力に感じて不安になることもあります。どんな会社でも必ず設立当時は小さかった、立場がなくて辛かったのだろうと思っても、言いようのない不安を感じることもあります。


はてなの設立当時の声を知ることで、しかも本音に一番近い令子さんのメッセージを読むことでとても励まされています。設立当時でもはてなはすごいな、と感心されてしまうことも多いですが、それでも参考にさせてもらえて、希望を持って毎日取り組めるのはありがたいことです。



最近の令子さんの日記で、こんな記事がありました。家でも、はてなでも、ずっと自分の役割を試行錯誤してきたが、こうしてあらためて京都に落ち着いて、今、自分のやるべきことややりたいこと、やって楽しいことが、自分のなかでも他人にとってもはっきり位置づけできるようになった。だから、毎日がたとえしんどくても、幸せに思えるようになったのではないかと思う。(つれづれ Apr.22,2008 tapestry::reikon)今では当時「いわし」書かれていた文章はtapestry::reikonのアーカイブで読めるということです。設立当初の「生の声」を聞けることを貴重に思い、参考にさせてもらっています。しかし本当の大変さは、日記にも、ブログにも、「いわし」にも書けなかったのではないかと思います。「こんにちは。はてなの近藤令子です。」と明るい調子でスタートする当時の日記に胸が痛くなるのでした。


当時を振り返って、受託に新サービスにと多忙を極める淳也さんと対照的に、令子さんは手持ち無沙汰だった。ユーザーサポートと広報、経理、を担当していたが、サポートメールはほとんど来ないし、事務作業もたかが知れている。昼ごろに出社して、夕方に帰る毎日。プログラミングもできず、手伝えることがない。という令子さん。そのなかで、自分の役割の居場所を探して一生懸命だったのだろうと思います。現状を肯定的に、前向きにとらえていることを思わせる文章を見つけました。そして当時の令子さんの立場を思い、どういう気持ちで書かれたのかと思うと、そのメッセージに励まされるように思うのでした。「自分に欠けていることを認識し、それを埋めてゆく努力をすることはとても大切なことです。しかし、今の自分を肯定し、自分のおこないに自信を持つことも同じように大切だと思います。人に対しても同じで、「もしも」「もっと」を押しつけることは、相手の今を否定していることになりかねません。現状を受け入れながらも、うまく「もしも」「もっと」を原動力にして前進したいものです。」(もしも明日が… Oct.23,2001 tapestry::reikon)


令子さんは、現在妊娠7ヶ月でいらっしゃるそうです。身重で大変なことと思います。お大事にしてくださいね。