猫は飼えないけれど



村上さんのエッセイ集には、村上さんの飼っていた猫がよく登場します。お産のときに手を握ってもらって、子猫を一匹づつ生んでいくというちょっと変わったみゅーずという名前のシャム猫もよく話に登場します。(村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫) p67)

この猫は陣痛が始まるとすぐ僕の膝にとんできて「よっこらしょ」という感じで座椅子にもたれるような姿勢で座り込む。僕がその両手を握ってやると、やがて一匹また一匹と子猫が生まれて出てくるのである。猫のお産というものは見ているとなかなか楽しいものです。




猫は飼えない環境ですが、猫の話をよんでいると実家で飼っていた猫や、夫の実家にいそうろうしていた白猫を思い出したりして、猫との思いでにしみじみしたりします。けっこう猫が好きな人もいるんだなぁ、と励まされます。


猫は飼えなかったので、熱帯魚のベタを筒状のガラスの容器に入れて飼っていたことがあります。魚ともなかなか仲良くなれて、餌をあげたり、音楽を聴かせたりしてかわいがっていました。ベートーベンの「皇帝」が好きで、その曲を聴くと、ひれをパタパタさせて喜んでいました。今はお魚を飼うのもやめてしまいましたが、ローズマリーの木の根元で眠っている「めだか君」のことをときどき思い出したりします。ローズマリーの花が咲くのが楽しみです。