元気になった、翌日の朝

すこぶる元気な人には、わからないかもしれない。健康で元気でいるときの、つまり普通であることの爽快感は。おそらくこのさわやかさは長くは続かないだろうし、すぐに思い出せなくなってしまうだろう。そして、健康になったことをありがたく感じていた気持ちさえ、きっと嘘みたいに感じるのだろう。
 女性は毎月の生理のときの腹痛、腰痛などのトラブルの悩みは経験した人も多いのではないでしょうか。中学高校と生理痛に悩まされ、今でも生理の前に不安定になって具合が悪くなることがある。最近は相性のよい先生に恵まれて、座薬を使うことで生理がくることの不安や恐怖からは救われて、症状も改善しているが、日常の生活に影響がでるほどうまくいかないこともある。
 薬を使って、なんともなく終わることもあれば、ひどいめまいがして、吐き気がして冷や汗がたくさん出て、死にそうになるぐらい辛い時がある。今回も痛みもなく、元気だったので座薬を使わなかったのが影響したのだろうか、突然激しいめまいと吐き気に襲われて、駅のトイレと駅の仮眠室でお世話になった。今までは、少し痛いときや不安に思うときに使うようにしていたのだが、整理初日の元気なときにも使わないといけないという、今までないケースがあると、悪化しているのかなと不安に感じる。
その苦しみは、それを体験した人にしかわからないだろう。普通の生理痛はこんなにひどくないだろう、苦しくないだろう、なんで自分だけこんなに苦しむのだろう、と悔しくて、孤独で、このまま消えてしまいたいと思う。 本当に辛いときは、座薬をバックから取り出して、持ってきて、それを挿入してという作業が困難で、しかも仮にできたとしてもすぐに効かないし、すぐ便と排出されてしまうので、しばらく落ち着くまで待つしかない。しかし、その間の時間が果てしなく思われ、ほんのわずか30分が永遠に思われる。外の話し声がやたら楽しそうに聞こえ、ドアを開けようと試してみるノブのガチャガチャいう音が、私の入っている個室でも試される。
本当に苦しいときは誰の助けも役に立たない。「非常ベル」のボタンを何度も見る。「緊急のときに押してください」と書いてある。苦しいのでそれを押したいが、仮に押しても痛みがよくなるわけではないのだ。便座に座って、吐き気と腹痛でどんなに苦しんでいても、たしなみのあるレディとして人に見られるわけにはいかないのだ。
救急車も同じだ。これから医者に見てもらったほうがいいような病気になった可能性がある場合や、もう死にそうなときに非常ボタンを押すのだろうが、しばらくすれば治まる生理痛の場合はどんなに苦しくても、押すわけにはいかないのだ。

元気になった次の日は、昨日苦しんだ菊名駅のホームを何食わぬ顔で通過する、軽やかに階段を駆け上る。そして、そんな場所があったかどうだか普段は気にしない、母子用の広い個室のある女子トイレと、駅員室を横目ですり抜ける。そしていつもと同じ通勤道を軽やかな足取りで足早に歩く。みんなが心配しているだろうな、何か言われるかな、ときにしながら、何食わぬ顔で「おはよう」と声をかける。顔なじみのみんなの顔がいつもより、つやつやして元気いっぱいだった。